ひとやまいくら

わからない人の気持ち

背水

もっと追い詰めないと変化が起きないような、、、

そのつもりも少々ありつつ、少しづつ下がっては居るようだけど、、、

まだまだ下がれそう

 

いまいち「崖」と言うものが見えてこない

もちろん落ちる気もないし、できる事なら考えたくないがけど

目標を見据えるように

その「反対側」の末端も意識しておかないといけない気もする。

 

まだ余裕があるのか

現実が見えていないのか

それとも

そーゆーことは考えないようにしているのか

「悪いこと」は考えないようにするのが良いと言う話はよく聞くので

それを盲信してるだけなのか

それをしてれば「言い方」へ向かうと思っているのか

 

悲観的に物事を見ることに「メリット」は何もないとは思う

それだけで良いのか?目を背けるだけにならないのか?

みんな自分のやってる事に「自信」はあるのだろうか?

人の気持ちばから考えて自分の行動に影響が出ることが多い

 

自分に自信があれば「他」を気にすることなく居られるのだろうか?

 

最近のネット

「最近のネットがつまらない」と言う記事を見て

まるっきり同じ感情を抱いていた

「ネット」と一括りにされているがネット上にある情報は非常に種類が多いので

特定の情報を指していると思う

それは

「お金」を源流として派生しているこれらのワードではないだろうか?

 

「仕事」と「資産」

この二大巨頭が最近ネットを騒がしている気がする

どちらも最近広がりつつある「格差」に大きく絡んでいる事である

 

持つものと持たざる者

出来るやつと出来ないやつ

 

持つ側と出来るやつがネットに溢れかえって「自己顕示欲」を満たしている

それらには有用な情報も多いがやはり

量の増加は質の低下を招いている

胡散臭いのから、それ以上のモノもある

 

 

なぜつまらなく感じるのか?

胡散臭いのをよく見るからだろう

なぜ胡散臭いのを見るのか?

有用な情報を探しているからだろう

なぜ有用な情報を探しているのか?

持つ者や出来る者になりたいからだろう

 

格差を埋めたい奴とそれを良くも悪くも利用する奴らのせめぎ合い

ネットの海に放流された情報には格差は無く、誰でもどこでも見れる

一見すると「差」は感じづらい

しかし話を聞くとあまりの別世界感が突きつけられる

出来る奴は出来るなりの「モノ」を持っている

物理的なものでは無い

 

それらを持ち合わせて無い奴らがネットで多くの情報に触れ

理解出来ず、時には騙され、嫌気をさし

つまらない

と感じるのではないだろうか?

見送り

見送られた経験が少ない、、、、

学生の間は卒業に伴い「それ」に近いものは体験はしてきている

 

自発的に動き出す人を今までよく見送ってきた

いつも見送る側にいたような気がする

 

勝手な言い分だが、見送られるのが苦手である

情けない表現をするなら「寂しく」なる

寂しく思われてなくても、こっちが勝手に寂しさを感じる

「残していく」と言う行動に強く心を持っていかれる

「残された」なんて微塵も感じられてなくてもこっちが勝手に感じる

 

人やモノに感情移入しやすいようだ

物の事も気になって仕方ない

 

こんな感情は何の役に立つのだろうか、所詮は無駄な感情なのか?

借り物

一度として肉体から心が離れた事は無い

自分の体を嫌になった事はない

至って健康

多少の不満はあるが変えたいと思ったことは無い

良い体

出来る体

憧れる事はあっても

なりたいと思ったこともあるが

出来る訳もなく、そこまで考えた事も無い

 

生まれてこの方何十年と一緒に居た体だが

何となく借り物のような気がする時がある

 

誰からとか

何からとか

いつ返すのか

次はあるのか

などは分からないし、そこまで考えた事もない

実際はそんな事はないだろうが

何か心と体が繋がって無いような

繋がってたけど隙間でも出来たような

 

心の不安定が現れているのだろうか

 

返せと言われても返す気も無いし

良さげな体があっても借りようとは思わない

 

何かこんな心の病ありそう

愚行権

散々悩んだくせに解決、解消に動かない

いろんな慰め、励まし、誤魔化しを経て「今」はやらないと判断した

今まで「やってない」ことを後悔してたのに今改めて同じ過ちを犯そうとしている、、、のだろうか?

ただの先延ばしになるか

一旦気持ちを離して心の安定を図る

 

そのおかげかすごく楽になった

また戻ってくるのは分かりきっているがこの落ち着いた状態で解決を目指したい

 

「それだけ」になると視野は狭まり良い判断も出来なさそう

愚かな行いなのか?

楽をしているだけなのだろうか?

ての言い訳を見つけて逃げてるだけなのか?

 

あんな状態からじゃとても変化は出来なさそうだ

あえて愚かな行いをしてみる

検索恐怖症

「知りたい事」を調べるのが検索

 

気になる事があるのに「検索」して答えを見るのが怖く感じる事がある

どのような心理状態なのかわからないけど

検索結果を見るのが怖い

 

何を恐れているのか?

答えが出ないのが怖いのか?

結果が予想と違うのが怖いのか?

予想通りなのが怖いのか?

 

自分の事や自分自身に近い事柄では無い

人や物とかは関係無ない

 

なんなく「答え」が出ている「事」などを調べるときに感じることが多い様な気がする

それを確かめる為に調べるはずなんだが、、、

 

答えを知るのが怖いのか?

 

別の見方をすると「知ろうとする行為」になんと無く羞恥心を感じる様な気もする

はっきり言って自分でも良くわかってない

 

下劣な言葉を検索している訳じゃない

むしろそれは気にならない

 

世の中の知名度が低い時に感じる事もあるような気もする

 

 

総合すると「なんと無く知ってるけど知名度の低い事柄」になるのだろうか?

 

 

歯痛のように

心の痛みにも波があり

嘘のように「気にならない」時がある

当然、解決なんてして無いけど、、、

 

物理的な傷とは違い心の痛みは「自分が作っている」と言っていた

作れるなら壊せるだろう

そして壊す方が簡単な筈だが

そう簡単ではない

 

楽で簡単だと解決へ向かおうとしないからだろうか

「解決しろ」と毎夜疼く

 

自分を苦しめるものではなく

鼓舞しているものだと思えば上手く利用できるかもしれない