ひとやまいくら

わからない人の気持ち

良い情報

情報には良いと

悪いと

どうでもいい

がある

 

自分にとって良いと悪いは印象に良く残る

自分は自分を良く理解してる自信が無いので

自分が勝手に行う選択に疑問を持つ

「いるかいらないか」なんて分かる訳ない

と言うわけで「どうでもいい」の中にも有用な情報があるはず

どうでも良いと言うのは自分に関係なさそうとか殆ど興味ないなど

 

とは言っても全ての情報をいちいち判断してたら

「やってられない」ので

どっかを減らす必要がある

 

失敗続きの「今まで」だったので

失敗に学ぶと言うのが新たな思考の柱になった

悪い判断だった事は今まで多々あり

よかった判断はいまいち印象に無い

人生思い起こして思い当たらない

 

・特定の人と知り合った

 その後関係を続ける

・運動を続けている

 付随して健康に保っている

ここら辺は良いを思えるが自分が選んだとは言い難い

 

将来を左右する判断を正直やり直したい場面が多々ある

そもそも考え判断したのでは無く

「流された」を呼んだ方良いだろう

 

今自分で判断し選ぶようになって

何を判断材料にしたら良いかと言えば

「失敗に学ぶ」

だろう

 

話は戻って何の情報を減らすかの件

「良い情報」を減らす

これで行ってみます

 

良い情報を見逃すなんて良くやった

思い起こしてもその時受け入れられる程のキャパシティは無かっただろう

話を聞いても判断して行動に移せたかと言えばしてないだろう

良い情報は世の中溢れていて判断に困る

嘘も多く真偽が分からない

 

その点「悪い情報」を多く取り入れるのはデメリットが少ないと考える

自分に不利益なら判断の必要はなく、やらなきゃ良い

悪い情報の真偽はもちろん分からないが

そこのデメリットは「どうでもいい」から補えばいい

 

大きく「凸」ことは無いが

「凹」こともないだろう